sunny saki's diary

すべての激務労働者に捧げるブログ

オイルロード


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以前に私の元同僚のおじさんから貴重な話を聞かせてもらってたので、そのことについて書きたいと思います。

数年前に定年退職された彼の職業は船乗り。私は船乗りと聞いて漁船・大漁とイメージしてしまいましたが、そうではなく中東から日本に資源を定期的に運ぶタンカーの船員さんであったと聞き、びっくりでした。

なにか面白い話でも、とリクエストしますと彼は大変興味深い話しを聞かせてくれました

それは彼が船員になって10年目くらいのことで、中東での積荷作業を終え、日本に向けて順調に航路を進んでいた時のこと。

当時、ペルシャ湾沖での情勢が不安定だったことから日本への資源を積んだ船は船頭、船尾に国旗を揚げていたそうです。中東の各国とは友好関係にはあったものの、その関係性を強調したものだったのでしょう。

突然の緊急事態、海賊に船を囲まれ行く手を阻まれます、ここでも私は海賊と聞きドクロ印の帆船を想像してしまいましたが、要は武装勢力の集団、すぐにSOSを発信し助けを求めます。

レーダーからすぐ近くに米軍の警備艦を確認SOSを何度だしても応答がありません。甲板に登ろうとしている海賊を見た時、助からないと思ったそうです。

絶望のなか、無線に応答があります。近くにいたトルコの船が状況を察知し、軍に出動を要請。駆けつけたトルコ軍により海賊は撤収。その後、米軍により救助されたとのこと

さすがにこの時ばかりはち○○たねと、その恐怖を語ってくれましたが、素朴な疑問が?何故、米軍はすぐに、救助に来てくれなかったの?応答もしなかったの?

おじさんが言うには、敵も傍受していると考えるのが定石だろうし、彼らが監視しているのは、その海賊だけでもない、彼らも監視されてるからだろうと

ほかにもたくさん聞きたいことがあったのですが、あまり長居するのも…でしたので。

その後、調べてみましたが、1990年くらいからかなり頻繁に各国のタンカーは襲撃されていたようです、2011年の日本籍タンカーの事件も記憶に新しく、私は覚えています。この時もトルコ軍・米軍の救援によるものだったはず。

日本と中東を繋ぐオイルロード、まさに日本の生命線です、私がガンダムだったら守ってあげたい。